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【NIKEの歴史】その② もう1人の創業者 ビル・バウワーマンのシューズへのこだわり、そして新たな始まり

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みなさん、こんにちは

 

前回はフィル・ナイトの行動力について

お話しましたが、今回はもう1人の創業者

ビル・バウワーマンの凄さ。

シューズへのこだわりをお伝えしたいと思います。

 

その①をまだ見ていない方は

良かったらみてくださいね↓

 

www.tamuson.work

 

 

NIKEはフィル・ナイトとビル・バウワーマンの共同創業ではじまりました。

そんな2人がNIKEを作るまでには、さまざまな大変な出来事があったのです。

 

前回お話したフィル・ナイトは帰国した後、会計士として退屈な日々を過ごします。

 

そしてフィル・ナイトの元に、オニツカから遂に、日本で注文していたシューズが届きます。その時、フィル・ナイトの頭に浮かんだ人物がこの人でした。

 

ビル・バウワーマン

 

オレゴン大学で陸上のヘッドコーチ。

彼は、チームを4回のNCAAチャンピオンシップと数え切れないほどの個人タイトルの獲得に導き、スター選手の指導をするカリスマコーチ。

 

フィル・ナイトが学生の頃にお世話になっていたコーチで、当時の話ですが、選手達の靴をバウワーマン自ら分解し、また縫い直し、選手達それぞれの足に合わせて靴を手直しするくらい、シューズにこだわっている人でした。

 

シューズを分解して、また縫い直すって、とてもマニアックすぎますよね。

 

フィル・ナイトにとってのバウワーマンのイメージは、将軍のようだったと言っています。大学の練習はスパルタだったそうで、とてもハードだったみたいです。

そんなバウワーマンのことがフィル・ナイトは大好きであり、少し恐怖感もあったそうです。

バウワーマンへの感情を、実の父親と同じような感じだと思っていたようです。

 

フィル・ナイトが日本で注文したオニツカ・タイガーのシューズが届いたのは1年以上たった1964年でした。そのうちの2足をカリスマコーチのビル・バウワーマンに送るのでした。

 

シューズにこだわっているバウワーマンだからこそ、オニツカ・タイガーのシューズを何足か注文してくれるんじゃないかと思っていたんですね。

 

すると、シューズを受け取ったバウワーマンから、すぐに連絡が来て、フィル・ナイトはランチに誘われます。

 

 

 

バウワーマンとの再会

 

久しぶりに会うバウワーマンに、フィル・ナイトはとても緊張していました。

そんなフィル・ナイトにバウワーマンはこう言いました。

 

「あの日本のシューズすごく良い、私を契約に加えてくれないか?」

 

そう言われたフィル・ナイトは、一瞬理解出来ませんでした。

バウワーマンはフィル・ナイトからシューズを購入することではなく、フィル・ナイトとのパートナーシップを希望していたのです。

 

それを理解したフィル・ナイトは

「どんなパートナーシップがお望みですか?」

と質問します。

この時のフィル・ナイトは神と交渉しているような気持ちだったそうです。

 

憧れの人からの思ってもみない提案に、きっとフィル・ナイト自身も驚いたんでしょうね。

 

質問されたバウワーマンも、フィル・ナイトの即答に少し考え込みます。

 

そして出した答えが

「フィフティ・フィフティだ」

 

そして後日、フィル・ナイトはバウワーマンの弁護士と会い、正式にパートナーシップを結ぶのでした。その内容は50対50ではなく、フィル・ナイト51対49バウワーマンという内容の契約になりました。

なぜそうなったのか?それはフィル・ナイトと主導権を争いたくはなたいと言うバウワーマンの想いがあったからだそうです。

 

 

オニツカに1000ドル分の注文

 

バウワーマンとパートナーシップを結んだフィル・ナイトはオニツカに、アメリカ西部での独占販売をさせてもらえないかと手紙を出します。

そして、至急300足送ってほしいと注文したのでした。この当時1足3.33ドルで300足で約1000ドルだったそうです。

 

この時の為替が1ドル360円だったので、1足約1200円だったんですね。

1000ドルで36万円になりますね。

当時のお金がどれくらの価値かはわかりませんが、1964年頃の日本人の平均年収が40万円くらいだったので、36万円は結構な大金だったのではと予想できますね。

 

フィル・ナイトは1000ドル分のシューズを注文しました。約半分はバウワーマンが出してくれますが、フィル・ナイト自身にはお金がなく、また父親に頼ろうとしますが、「いつまでそんなマヌケなことをやるんだ」と言われ、さすがに嫌がられたそうです。

それを見ていた母親が「私が1足買うわ」とマヌケと叱った父親の横でシューズを7ドルで買ってくれたそうです。

そしてそのオニツカのシューズを履いて、料理をしたり、お皿を洗っている姿を見て、フィル・ナイトは感動したのでした。

 

お母さんの優しさが伝わってきますね。

 

結局、父親は母親と揉めたくなかったのか、フィル・ナイトに1000ドルを貸してくれたそうです。

 

そして1964年4月にオニツカから、フィル・ナイトの元にバカでかいダンボールが10個届きます。その1箱につき30足のタイガーが入っていたそうです。

 

30足入るダンボールって、想像しただけでも凄く大きいですよね。しかも、とても重たそうですね。

 

そのオニツカ・タイガーのシューズが届いて、フィル・ナイトは自ら試し履きをして、跳びはねて喜んだそうです。 

 

シューズが届いて数日後、オニツカのミヤザキ氏からアメリカ西部の独占販売をお任せしますという内容の手紙を受け取るのでした。

 

そして、そのオニツカからの回答をもらい、フィル・ナイトは会計事務所を退職します。

するとうまくいったことに、父親はおどろき、母親はひっくりかえるほど喜んだそうです。

 

うまくいって本当に嬉しかったんでしょうね。

 

そして、この後フィル・ナイトはアメリカ西部でオニツカ・タイガーの独占販売をスタートするのです。

 

今回はここまで。

 

オニツカ・タイガーの独占販売が出来るようになったフィル・ナイトとパートナーのバウワーマン。これからどうなっていくのか!?

続きはまたお話したいと思います。

 

今回もご覧いただき、ありがとうございました!