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【NIKEの歴史】その① 創業者フィル・ナイトの行動力

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みなさん、こんにちは

 

今回はNIKEの歴史と

それについて私が思うことを話していきたいと思います。

 

NIKEと言えば、一流のスポーツブランドで、誰でも知っていますよね。

そのNIKEも、もともとは0からはじまっています。

会社が大き過ぎて、今じゃ想像できませんね。

 

そんなNIKEの創業者をみなさんは知っていますか?

 

NIKEは2人の創業者によって作られました。

その内の1人がフィル・ナイトです。

そのフィル・ナイトのすごい行動力からNIKEという会社ができたんです。

50年以上前に、この行動力!?と本当に驚いてしまいました。

 

それではまず、そんなフィル・ナイトのことからお話していきましょう。

 

 

NIKEの創業者 フィル・ナイト

 

NIKEの創業者の1人、フィル・ナイトとはどんな人物だったのでしょうか?

 

フィリップ・H・ナイト

オレゴン州ポートランド出身。高校時代、さまざまなスポーツに取り組み、同時に学校新聞の記者でもあった。高校卒業後、一流大学のオレゴン大学に入学、卒業。そして、スタンフォード大学ビジネススクールの最高峰でMBA【経営学修士号】を取得。フォート・ルイス、フォート・ユースティスというアメリカ陸軍の軍用施設で1年間、兵士としての知力と技能を身につけたと評価される。

 

どう思いますか?すごいですよね。本当に輝かしい学歴。

 

でも、フィル・ナイトは自分のことを

まだ大人になれていない。自分はまだ子供だ

と感じていたんです。

 

なぜ、そう感じていたのか?

 

それは自分に

心を駆り立て胸を踊らせる経験がないからだ

と感じていたからだそうです。

 

そんなフィル・ナイトに人生の転機が訪れたのが1962年。フィル・ナイトが24歳の時でした。

 

 

 

当時ではありえない世界旅行

 

24歳のフィル・ナイトは、日本製のランニングシューズに可能性を感じていました。

 

当時のアメリカでも、飛行機に乗ったことがある人は10%程度しかいない状況でした。そんな時代に世界旅行、そして日本に行くということは莫大な費用がかかってしまいます。

 

それでもフィル・ナイトは諦めず、日本製のランニングシューズの可能性、そして世界旅行に行くことを父親にプレゼンしたのです。

 

一般的なお父さんだと、そんなお金のかかること、バカなこと言うなよ!って怒られそうですよね?

 

しかし、フィル・ナイトの父親は、見込みのない馬鹿げたアイディアだと言いながらも、まさかのOKを出したのです。父親もスポーツ好きだったようなのでそれも要因だったのかもしれませんね。

 

世界旅行が決まり、準備として数週間かけて本を読んだり、行きたい場所リストを作ったり、計画を練りました。そして、1人で出発かと思いきや、スタンフォード大学の時のクラスメイトのカーターを誘います。

 

あれだけお金がかかる世界旅行に普通は誘われてもなかなか行けないですよね?

 

しかし、カーターはフィル・ナイトに行きたい場所リストを見せられて、あっさりトキメキます。そして、父親からお金を借りてきます。

 

2人ともぶっ飛んでて本当にすごいw

 

そして、ついに出発したのです。

 

 

最初の行きたい場所はハワイ

 

ハワイに着いた2人は海を見てはしゃぎます。

そして、フィル・ナイトはこう言ったそうです。「ここにしばらくいよう」

 

それを聞いたカーターは

えーーーΣ(゚ロ゚;)って一回なります。

 

そりゃそうですよね。まだ1つ目の場所なのに。よほどハワイの居心地が良かったんでしょうね。

 

驚いたカーターもすぐ、まいっかってなりました。

 

そして、就職までしてしまいます。

モーテルではなくワンルームまで借ります。

しかもその仕事が、午後7時からだったので、昼間にサーフィンをやる事が、何よりも大切になったそうです。

 

自由過ぎて面白いですね。

 

それから、仕事も順調で余裕がある生活が出来るようになったのですが、遂に計画に戻る時が来たとフィル・ナイトは決断するのでした。

 

しかし、カーターにはハワイで彼女ができてしまい、残ると言い出します。

さようならカーター

まさかの1都市目での別れになりました。

 

そして、フィル・ナイトは1人で日本に向かうのでした。

 

日本での出会いがビジネスのきっかけに

 

東京についたフィル・ナイトは、色んな場所を見物したり、築地の魚市場にジョギングをしていったりしたそうです。

父親の友人が東京にいたので、その人伝いに色んな人に出会います。 

 

そして遂に、目をつけていた日本製のランニングシューズの会社。オニツカに訪問することになります。

 

オニツカとは今のアシックスです。

フィル・ナイトはアシックスになる前のオニツカのシューズに目をつけていたのです。

 

オニツカの工場に招かれます。

そして、フィル・ナイトはまだ会社も経営していないのに、「ブルーリボン・スポーツの代表です」とオニツカの人達に伝えたのでした。

そしてその勢いのままプレゼンをしたのです。

 

そうするとどうでしょう。オニツカの方から「代理店になりませんか?」と言われたのです。

フィル・ナイトは「もちろん」と答え、シューズのサンプルを送ってもらうように頼み、50ドルの前払い金を約束。

 

テンポがめちゃめちゃ早いですね。

行動力も決断力もすごい。

 

そして、日本はシューズ目的でしたが、彼の世界旅行はまだ続きます。

 

 

世界各地を転々とする

 

日本を出たフィル・ナイトが次に訪れたのは、香港でした。そこから、フィリピン、バンコク、ベトナム、カルカッタ、カトマンズ、ケニア、カイロ、エルサレム、イスタンブール、イタリア、パリ、ミュンヘン、ウィーン、ロンドン。そしてギリシャにたどり着いた。

 

ギリシャに到着し、フィル・ナイトが訪れたのは、アテナ・ニケ神殿。美しき勝利の女神。

そこで、歴史的なエネルギーを吸収したそうです。

 

そして、1963年のフィル・ナイト自身の誕生日に、アメリカの自宅に帰宅します。

 

髪の毛は肩まで伸びて、あご髭は7.6cmも伸びていたそうです。

旅をしてきた感が凄いですね。

しかも、1年間でこれだけ出来事があり、国をたくさん渡り歩き、凄い経験をしていますよね。内容がすごく濃い1年間ですよね。

今の時代でも、これだけ行動することで、すごく経験が得られるであろうことを、50年以上も前に実際にやっていたフィル・ナイト。本当に凄すぎる。

 

今回はここまで

 

お話の続きは次回したいと思います。

ありがとうございました。